謝罪大国の羊の群れ

「歴史を忘れた民族に未来はない」過去を忘れた民族は例外なく滅ぶであろう

何故幕末・明治維新が起こって大日本帝国が生まれ、何故最終的に大東亜戦争が引き起こされ、何故大日本帝国は消滅の運命を辿ったのか。 その誕生から滅亡までのありとあらゆる莫大な負の遺産を我々日本国民は相続させられいまだ支払わされ続けている気がしてならないのであります。 人生五十年・それ近く、それ以上生きたから後は野となれ、山となれ俺の知ったことでないよと言ふ人もいるでしょう。それはそれでその人の生き方、思想の問題なので良しと致しましょう。 しかし、ヨチヨチ歩きをしている子供、乳母車に乗せられ母親に引かれて行く乳飲み子、まだこの世に生を授かる前の妊婦のお腹を街中で見かけた時...なんか胸にこみあげてくるものがあったんであります。

第40代内閣総理大臣より、大東亜戦争を知らない我が子孫へ

序文

●蒋介石(中国国民党)と毛沢東(中国共産党)

●「サッスーン財閥」が支配していた「香港上海銀行」の本拠地が日本軍によって踏みにじられると、日本を倒す新たな反撃のため、欧米のユダヤ資本と華僑の地下連合組織が強力な網の目を張りめぐらしていった。

こうしたゲリラによるレジスタンスの構造が、今日の華僑財閥の母体になったのである。

●しかし、その後、欧米のユダヤ資本による中国大陸の利権支配はうまくいかなかった。

中国国民党の失政によって、蒋介石は大陸を失い、台湾に逃げ込む始末となり、ユダヤ資本は断腸の思いで上海を明け渡さなければならなかった。

「サッスーン財閥」の在中国資産は、あらかた中共(中国共産党)政権によって没収されてしまったのである。

●この蒋介石とルーズベルトの関係について、ある歴史研究家はこう鋭く述べている。

「結局、アメリカは中国の利権を狙い、蒋介石に莫大な投資をしたのに、その多くを蒋一族に着服された揚げ句、中国の天下は毛沢東に取られ、アメリカには1セントの利益も入らなかった。

日本を徹底的に打ち砕いた結果、アメリカが日本からぶん盗ったもの、 それは日本が中国・満州・朝鮮で長年背負ってきた『共産主義との対決』という重荷だけだった。 そのためにアメリカは、朝鮮戦争・ベトナム戦争を戦わざるを得なくなってしまったのである。

『戦争は政治の手段』という大原則に照らせば、ルーズベルト政権は蒋介石にだまされ、スターリンにだまされ、国益にならないどころか、朝鮮戦争・ベトナム戦争を誘発し、自国民を犠牲にする禍根まで残した『太平洋戦争』をやらかした全く無能な政治家、単なる『戦争屋』だったことになる。」

●ところで第二次世界大戦後に「朝鮮戦争」に参加したマッカーサーは、 この極東ユーラシア大陸での戦略面での困難さを体験したとき、日本のかつての“アジア侵略”を顧みて、 「日本のアジア侵略は“自衛”のための戦争であった」という見解を示している。」

※↑1951年5月3日の米国上院の外交委員会で証言。

●この件に関して、ある歴史研究家は次のように解説している。

「東京裁判のわずか2年後に朝鮮戦争が勃発した。その途端にマッカーサーは、戦前の日本が心から怖れた『北からの脅威』の本当の意味がわかったのである。共産軍の侵攻を放置すれば朝鮮半島が取られる。朝鮮半島が取られれば日本が危ない。そこで彼は全力を挙げて、朝鮮半島を守ろうと決意して戦った。

結局、アメリカ側は太平洋戦争にも匹敵するほどの死者を出すことになった。

戦い始めてマッカーサーがすぐ気づいたのは、ソ連や中国がバックに控えた北朝鮮軍と戦う場合、朝鮮半島だけを考えては勝てないということであった。その弾薬や武器は中国やソ連から湯水のように補給されているのだから、その補給線を絶たないかぎり、相手はけっして降伏しない。勝つためには補給基地となっている満州を空襲しなければならない。また、東シナ海に面した中国の港を海上封鎖しなければならないということは明白であった。

そこでマッカーサーは戦争中、その考えをトルーマン大統領に進言したが、これを拒否されてしまった。トルーマンが、ソ連と原爆戦争に突入することを恐れたからであった。そのため、マッカーサーは朝鮮半島を守りきることができず、アメリカは北緯38度線から北を敵に渡して、休戦協定を結ばざるをえなかった。

この体験を通じてマッカーサーは、戦前の日本軍がなぜ、あれほどまでに満州に執着を見せたのか、 また『北からの脅威』とはどんなものなのかを明瞭に理解したのである。」

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